四国の水がめから現れた「渇水の象徴」湖底の旧役場が伝える悲しみの歴史 大川村・早明浦ダム
2026年9月15日(火) PM6時57分 <PM8時00分 更新>
高知県の大川村。吉野川の上流にあるこの村は、現在、離島を除けば全国で2番目に人口が少ない小さな村です。しかし、かつては銅山で栄え、デパートや映画館まで立ち並ぶ「山の都」でした。
その運命を変えたのが、1960年に持ち上がった早明浦ダムの建設計画です。水没の危機に対し、村民は「ダム建設反対のとりで」として新しい村役場を建て、むしろ旗を掲げて激しい反対運動を展開しました。
しかし、国が提示した巨額の補償金は村民の団結に亀裂を生ませ、多くの人々が故郷を離れてバラバラに散っていきました。
そんな中、最後まで村に残った家族は、ダムの試験貯水と豪雨により、家財道具すべてを濁流に奪われながら避難を余儀なくされました。集落が水没した同じ年には鉱山も閉山し、かつてのにぎわいは数年で失われました。
1975年に完成した早明浦ダムは、その後深刻な渇水に見舞われるたびに、湖底に眠る旧大川村役場とともにニュースで取り上げられるようになります。
いつしか「渇水の象徴」と呼ばれるようになったコンクリートの建物は、水不足を伝えているだけではありません。
それは、村の存続をかけて闘い、愛する故郷を奪われた人々の、決して笑顔では語れない悲しみの歴史を今に伝えています。
*湖底に沈んだ旧役場の内部映像や、当時を知る関係者の証言の続きは、動画本編をご覧ください。










