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News- 高知のニュース

パリパラ棄権なぜ?《カヌー小松沙季さん単独インタビュー》やり投げ転向も「メダルは途中」最終目標は?

高知出身のパラアスリート・小松沙季さんの特集です。

2024年のパリパラリンピックでカヌー日本代表としてエントリーしていましたが、突然の棄権。あれから半年、前に進むことを決めた小松沙季さんが心のうちを明かします。

4月6日、鹿児島県の奄美大島で障害者への理解を深める体験イベントが開かれました。イベントを企画したのは四万十市出身のパラアスリート・小松沙季さん。カヌーのトレーニング合宿で3年前から奄美を訪れています。

小松さんは高知中央高校時代、春高バレーに出場。大学卒業後は静岡のVリーグチームで活躍しました。引退後、体調に異変が。

小松沙季さん:
「寝る前に脱力があって、とりあえず寝て、朝5時くらいに目が覚めて歩けなかったので、友人を呼んで病院へ連れていってもらった」

体にまひが残り車いす生活となった時、カヌーと出合います。身体能力が高く、わずか半年で東京パラリンピックに出場。そして去年のパリパラリンピックでも日本代表に選ばれました。

しかし、予選当日、体調不良による棄権を発表。あの日、一体なにが起きたのでしょうか。

小松沙季さん:
「車いすになって『てんかん』の診断を受けていたこともあって。レース当日の早朝、体調がちょっとすぐれなかったので(てんかんを考慮して)水上競技ということもあって、いろんなリスクを考えてドクターストップというような判断になりました」

障害を抱えてから「てんかん」の発作が起きるようになった小松さん。脳の病気である「てんかん」は発作によるけいれんを引き起こし、時には意識を失うことも。

「体調不良がてんかんの引き金になるかもしれない」水上競技で起こりうる最悪の事態を考えてのドクターストップでした。

小松沙季さん:
「本当は選手村で待機するような感じだったんですけど、せめて会場には行かせてくださいっていうのと同時に、なんとかレースに出させてもらえませんかとお願いしていた感じですね」

パラアスリートにとってコンディションを整えるのは簡単なことではないと小松さんは話します。

小松沙季さん:
「車いすユーザーだから歩けないだけっていうのは意外とあんまりなくて。体幹、腹筋が利かないとか。ただでさえ生活するだけでも大変なのに、その中でスポーツをするっていうのは体調を整えるのもかなりハードルが高い」

病気と向き合い、ギリギリまで体を追い込んで臨んだパラリンピック。だからこそ「棄権」という結果では終われません。

小松沙季さん:
「まだパラアスリートとして次のロスは目指したいなと。カヌーではなくて、競技転向。やり投げで次のロスはメダルに向けて挑戦できたらいいなと」

これまで日本パラカヌー連盟の強化指定選手として活動してきましたが、3月末、1年間の認定期間が終了。そこで、この4月から新たに陸上競技の「やり投げ」に転向することを発表しました。

小松沙季さん:
「投げるのは得意だと思います。小学校の時とか陸上競技大会でソフトボール投げとか出ていました。肩は強い方だと思います」

やり投げといえば…パリオリンピック金メダリストの北口榛花さん。女子日本記録を持つ北口さんは陸上の世界最高峰の大会「ダイヤモンドリーグ」で2連覇を達成するなど、やり投げのパイオニア的存在です。

実は、北口さんも同じタイミングで奄美大島を訪れており、小松さんは投げ方についてアドバイスをもらうなど交流を深めました。

アスリートとして頂点を目指す一方で…
小松沙季さん:「メダルは途中ですね。最終的な目標ではないですね」

メダルの先を見つめる小松さんのビジョンとは。

小松沙季さん:
「私でいうと障害ですけど、障害を負うことによって選択肢が狭まったりしているので。私が社会を変えようと思っても、まだ私にその力はなくて。でも社会が変わるきっかけはつくれるんじゃないかなと思って。こういったイベントをコツコツやっているんですけど」

「障害者が生きづらい社会を変えたい」…そんな思いからイベントを始めた小松さんにとって、メダルは大きな力になるといいます。

小松沙季さん:
「こういった活動をしていくにあたって影響力、説得力はあった方がいいと思っているので、という意味ではメダルを取れたら一番かなと思っています」

思い描く未来のために。まずはやり投げの日本代表を目指し、新たなスタートを切りました。
小松さんは4月26日に、愛媛県松山市で行われるパラ陸上競技選手権大会に参加する予定です。

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