画像

  • 画像
  • 画像
  • 画像

News- 高知のニュース

「家の前で遊んどったらピカっと光った」ノーベル平和賞「日本被団協」箕牧智之代表委員が高知に

草の根で核兵器廃絶を訴え、2024年、ノーベル平和賞を受賞した「日本被団協」の代表委員を務める箕牧智之さんが高知市で講演し、活動を次世代につなぎたいと思いを語りました。

先週、県立美術館で開かれた講演会は戦後80年の2025年、改めて平和について考えてほしいと高知県生協連が企画しました。

登壇したのは2024年、ノーベル平和賞を受賞した「日本被団協」の代表委員箕牧智之さん(83)です。箕牧さんは東京生まれで3歳の時に疎開先の広島で被爆しました。

箕牧智之さん:
「家の前で遊んどったらピカっと光った。雷でもなったんかなぐらいにしか思っていなかった。(アメリカが)広島にリトルボーイという原子爆弾を落とした」

1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、強烈な熱線や放射線によって甚大な被害をもたらしました。

箕牧智之さん:
「被爆者は水を求めて水道の蛇口も水は出やせん。水が欲しい、水が欲しいと訴えた。これはお母さんが亡くなって赤ちゃんがかろうじて生きている、乳を飲もうとしてるが乳が出ない。やがて子どもは亡くなった」

原爆投下後行方不明の父親を捜して母親と広島市に入りいわゆる「入市被爆」で放射能を浴びた箕牧さん。小学5年生の時に患った原因不明の病気は原爆症だったのではと語りました。

こうした原爆の恐ろしさを国の内外で証言し、仲間とともに核兵器廃絶を訴えてきた箕牧さん。平均年齢が85歳といわれる被爆者の思いを次世代につなぎたいと強く思っています。

箕牧智之さん:
「日本は核兵器を持たんような平和な今のような日がずっと続けばいいが、そのためにも若い人たちに託す時が来ると思う」「日本だけ守ったんじゃだめよ。世界中守らなゃ。ウクライナの人でもガザの人もイスラエルでもロシアでも一般の庶民は平和を望んでると思う」

60代の男性:
「箕牧さんも、ほとんど毎日どっかで話ししてるって言ってるように、不断の活動をされていくと、だんだん人の気持ちって変わっていくと伝わった」

80代の女性:
「自分の後を考えて高校生たちを育てようとしている。将来へつなげていくというそういう気持ちにものすごく感動しました」

持病もあるという83歳の箕牧さんですが、被爆80年の節目を迎え活動への思いを新たにしています。

箕牧智之さん:
「私たちが訴えているから80年間核兵器使われずにすんできたということがノーベル平和賞の対象になったんじゃないかと思う。先人たちのご苦労よ。ご苦労が実ったんじゃろと思うよ。」
Qこれからも先頭にたって活動されますか?
「ま、やらざるをえんよな。年を取っとるが」

核兵器のない世界を実現するために…。箕牧さんはこれからも活動にまい進します。