《高知も例外ではなかった》帯屋町で天誅事件 坂本龍馬記念館企画展「天誅ー土佐藩の奔走」
2025年3月5日(水) PM7時33分
幕末の日本で繰り返された残虐な人斬り「天誅事件」。京都や大阪を中心に日本各地で起こりましたが当時、高知市帯屋町でも発生していたんです。
『天誅』とは…
「天に代わって人を処罰する」こと。
この言葉を使い江戸末期、幕府や藩の政治に異を唱える人たちが京都や大阪など日本各地で人斬り、いわゆる「天誅事件」を繰り返しました。
高知県立坂本龍馬記念館学芸員・上村香乃さん:
「残酷な話ですけれども首を斬ってそれを河原にさらすということで、だいたい文久2年、3年の2年間でも30件くらい起こっております」
県立坂本龍馬記念館で開催中の企画展では「天誅事件」に関する史料およそ30点を見ることができます。
企画展「天誅ー土佐藩の奔走」
暗殺を行ったのは天皇を尊び開国に反対する尊王攘夷派の志士たち。狙われたのはアメリカと貿易に関する「日米修好通商条約」を結んだ大老・井伊直弼に近かった役人たちでした。
川辺世里奈アナウンサー:
「各地で起きた天誅事件、高知も例外ではありません。こちらには土佐藩で起きた天誅事件に関する史料が展示されています」
土佐藩では1862年、政治の中心人物だった吉田東洋が高知市帯屋町で暗殺されました。背景には土佐勤王党のトップだった武市半平太との対立があったといいます。
県立坂本龍馬記念館学芸員・上村香乃さん:
「武市半平太自身は薩摩とか長州とかと連携したい藩主を京都に上洛させたいという気持ちがあったんですけど吉田東洋自体は(武市の)考え方を一蹴していた」
東洋の暗殺後、土佐勤王党のメンバーが藩政に関わるように。すると当時の警察「下横目」が殺されたり“他の藩の暗殺者を土佐藩の役所でかくまう”といった事態が発生したのです。
企画展ではこの他15代土佐藩主・山内容堂が京都で遭遇した天誅事件などを紹介しています。
県立坂本龍馬記念館学芸員・上村香乃さん:
「高知県でそういうできごと(天誅)が起こったんだということを知っていただくとともに、
当時の土佐藩がどういうふうに時世に対応していたのかというのも分かっていただけたらうれしいです」
企画展「天誅ー土佐藩の奔走」は坂本龍馬記念館で4月6日まで開かれています。