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News- 高知のニュース

《お召し列車》真夜中の輸送大作戦!70トンのSLを高知駅から交通公園へ…初めて語られる壮大な舞台裏

高知市の交通公園で、半世紀にわたり子供たちに親しまれているSL。このSLが先日、さんさんテレビの取材で、昭和天皇が乗ったお召し列車を牽引したことが分かったとお伝えしました。この物語には続きがあります。

1970年(昭和45年)に撮影された写真には、開園前の交通公園に大型クレーンがSLをつり下ろす様子が写っています。SLを高知駅から交通公園に輸送する大作戦が行われたのです。当時、この大仕事を担った80歳の男性2人が、その舞台裏を初めて明かしました。

高知市比島町の交通公園にある、県内唯一のSLは、1943年から25年間、土讃線で活躍。1970年、交通公園の開園に合わせ、旧国鉄から提供されました。このSLが、さんさんテレビの取材で、1950年に昭和天皇が乗ったお召し列車を牽引したことが分かりました。

(当時の記録映像のナレーション)
高知県に入った陛下は、3月22日高知市の奉迎場にお成り、ここでも市民4万人の盛大な歓迎を受けた。

昭和天皇は戦後、復興状況を視察するために全国各地をまわりました。1950年3月に高知を訪れ、四万十町・影野駅から高知駅までをお召し列車で移動しました。

お召し列車の大役を担ったSLが引退した後、交通公園に運んだ人がいます。高知市の大石敬雅さん(80)と、いの町の西森勝也さん(80)です。

Q.何年ぶりに見た?
大石敬雅さん:「54年ぶり」

西森勝也さん:「懐かしい」

2人は1962年、高知市の運送会社・高知通運に入社。重量物の輸送を担当していた26歳のときに任されたのが、SLを高知駅から1.5㎞先の交通公園まで運ぶという大仕事です。SLは重さ72トン、全長18mもあります。

大石敬雅さん:
「初めての仕事、こんな重量物は。当時、機関車を積み込んだのがクローラークレーン。これ2台でつり上げた。機関車の前と後ろ、相づりで」

作業は1970年2月14日の真夜中、午前2時すぎにスタート。2台の大型クレーンで高知駅に置かれたSLをつり上げることから始まりました。

大石敬雅さん:
「当時、クレーン1基でつれるのが30トン。SLが70トンあるから、クレーン2台でつっても上がるか上がらんかギリギリの線やった」
Q.機関車が浮くシーンは
「壮大(笑)」

つり上げたSLを大型トレーラーに積み込み、午前4時に高知駅を出発しましたが、すぐに大きな関門が待ち構えていました。

大石敬雅さん:
「歩道橋を抜けるかどうかが問題やった。ギリギリ15~20㎝空くか、空かんかで歩道橋を抜けた。抜けるときはドキドキした」

県警のパトカーが先導し、時速1キロで北上し比島町へ。しかし、交通公園を目前にした信号機のある交差点で思わぬトラブルがありました。

西森勝也さん:
「トレーラーが信号機をよけて通れなくて。県警の先導車に許可をもらって、信号をずらして、回避した」

そして、高知駅出発から1時間半後の午前5時30分、無事に交通公園に到着。真夜中のSL輸送大作戦は、見事成功しました。

大石敬雅さん:
「それまでうちの会社で運んだ重たいものは20~30トン。SLは70トン。今考えてみたら、よくこんなもん運んだと思う」

当時、2人はこのSLがお召し列車だったことは知りませんでした。

大石敬雅さん:
「感慨深い。全然知らなかった。天皇が乗った列車を引っ張ったとは」
西森勝也さん:
「どこかの機関区で廃車になった列車を、ここに持ってきて据えたぐらいに思っていた」

昭和18年(1943年)生まれの大石さんは、SLと特別な縁がありました。

大石敬雅さん:
「(SLと)生まれた年が一緒(笑)感慨深い、80歳。保存を大事にしてもらいたい。何年かに1回塗り替えて。そういう気持ちでいっぱい」

忘れ去られたお召し列車の歴史を知った80歳の夏。当時成し遂げた仕事への誇りと愛着が、胸に込みあげます。

交通公園は2025年に開園55年を迎えます。公園は、これを機に県にはたらきかけ、お色直しなどのイベントを企画し、観光資源としてアピールしていきたいと意気込んでいます。

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