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News- 高知のニュース

「1メートルぐらい車が跳ねた」《能登半島地震》高知市の夫婦 輪島市で被災《道》の重要性訴え【高知】

元日に発生した能登半島地震から1月9日で9日目。地震発生当時、被害の大きい輪島市付近にいた高知市の建設会社の会長が、命を救うためには「自治体と建設業の連携が不可欠だ」と訴えました。

高知丸高 高野広茂 会長(86歳)
「警報が鳴って『地震です、大きな地震です』その4分後に大きな地震が発生した。その時に1メートルぐらい車がぼーんと跳ね上がった感じで」

最大震度7を観測した能登半島地震の発生から1月9日で9日目。石川県では午後2時時点で202人が亡くなり、102人の安否が分かっていません。

高知市の建設会社、高知丸高の高野広茂会長86歳と妻のいくよさん81歳は、地震発生当時2人で石川県内を旅行中でした。

高知丸高 高野広茂 会長(地図を見ながら説明)
「金沢の町を見ながら行きました。国道249号を行って輪島へ。輪島のちょうど15分のところ、この辺です」

金沢市から輪島市までタクシーで移動中、地震に遭遇しました。

高知丸高 高野広茂 会長
「(横のハウスの)下におる車が横転する寸前で、3台がひっくり返る状況」
高台に車を停め、寒さの中、タクシーで一夜を明かしました。

妻・高野いくよさん
「いつ自分の車が倒れるやろ、他のことは全然考えられません。食べ物だって、飲みたい、食べたいって気持ちもなく」

土砂崩れなどにより戻ることができなくなったため、翌日の朝、徒歩で輪島市の中心部へ。

高知丸高 高野広茂 会長
「(朝市は)火が燃えておりました。けむりがぼっとして…反対側の道路を入ったところに大きなお寺があったんですけど、ぺしゃんこ。マンホールが1メートルぐらい飛び上がって。ひび割れ、到底車が通れるような道もほとんど無かったです。土石流と津波の土砂でだいぶ埋まっておりました。到底、海上からの救援は来れないなと」

壊滅的な被害にも関わらず、救援隊を見かけたのは2日の昼頃でした。「被災地までの道がほとんど機能していない」ことを強く感じた高野さん。

高知丸高 高野広茂 会長
「物資も運べるし医療も運べる、この『道』が一番大事だと」

南海トラフ地震への教訓として「重機のある土木・建設業が『道』を開拓すること」の重要性を訴えました。

高知丸高 高野広茂 会長
「救援(隊)が入れる道路を確保するには(重機を持つ)土木やないとやれない。土木が一番先に動いて交通網を(復旧し)、物資を運べる、救出隊が入れるようにするのが一番先。自治体と建設業が一体になって災害の時はどうするべきか。どこへ連絡して、すぐ出動できるようにすることが大事」

災害発生時の重機を使った土砂などの撤去について、路上に車などがある場合は、道路を管理する自治体や国からの指示がないと撤去できません。南海トラフ地震発生時に一刻も早く「命の道」を復旧させるために、高野さんは今後、高知県内の自治体に対して、早急に撤去の指示ができる体制づくりを呼びかけたいとしています。